「いや、学校行けよ!将来の選択肢が増えるぞ!」
「協調性高めるために行ったほうがいいよ」
という学校行ったほうが良い派
一方で
「学校行かんでも勉強はできるわ!」
「協調性なんてネットの方が高められる。学校行く理由がわからん」
という学校行かなくても良い派
わたしは小~高校生の12年間中、4年ほど学校に行っていない人間ですが、結論として、「両方のスタイルに合った人がいるので、選択する自由が欲しい」と感じました。
今回はその結論に至った理由などをまとめていきます。
(※私立や専門学校などは除いて、普通科の学校を例に考えます)
両者の得られるもの失うもの
前述したとおり、世の中には学校行ったほうが良い派と、行かなくても良い派がいますね。
わたしは、どちらにせよ得られるものや失うものがあると思います。
それぞれについてまとめてみました!
学校に行くと得られるもの
学校に行くと得られるもの
・意識しなくても勉強できる
・意識しなくても人と交流できる
・友達と一緒に楽しい時間が過ごせる
・「勉強してる感」や「みんなと一緒感」から安心感を得られる
これらでしょうか。
何か自分が夢中になれることを見つけたいという人は、学校で色んな人と出会って見聞を広められるというのは良いかもしれません。
見聞を広めるという点では、ネットも確かに有効ですが、調べる検索ワードや傾向、SNSなどで特定の人をフォローして得られる情報にはどうしても偏りが出ます。
そういった面を見ると、不特定多数の人がいる環境の中で、自分が夢中になれることを探せるというのは学校の利点だと感じます。
また、「勉強してる感」や「みんなと一緒感」というのは、若干皮肉めいた書き方になってしまいましたが、逆に言うと学校に行っていなかったわたしは、それらの安心感を失いました。
「みんな学歴は構築しているけど、わたしは何もない…このままでいいのだろうか?」という不安が延々とついて周っていましたね。
学校行かなくて得られるもの
学校に行かなくて得られるもの
・本当に自分がやりたいことに使う時間
・自分に合った生活スタイル
一方で学校に行かずに、「自分が本当にやりたいことをやるんだ!」と思って勉強し始めたら最強です。
周りがみんな同じ事をしている間、自分は特化したことをしているので、周りより一歩抜きん出た存在になれるかも知れません。
また、自分に合った生活スタイルを得る事もできますね。
「いや、親が養ってるからだろw」と思う方もいるかもしれませんが、単にグータラするという意味ではないです。
学校にいる以上、みんなと一緒でなければなりません。
体が弱かったり誰かにいじめられて、その場にいることがつらくても、学校や親などが認めてくれない限り、逃げ場は無く、戦うか苦しみ続ける以外の道はないでしょう。
そういった面で、生活スタイルの自由が選択できるorできたというのは最高にリフレッシュできます!
まあ、そんな過酷な状況におちいってから脱しても、簡単にリフレッシュ!なんてできないのですが、苦しみ続けるよりは全然良いですね。
まとめ
今のわたしは2つの事で後悔しています。
1つは「学校に行き続けて、友達とバカな事やって楽しく過ごしたかったな」という後悔。
2つは「病む前に学校行くのを辞めて、ゲームをとことん追求して仕事に活かしたかった」という後悔です。
学校へ行くor行かないは、どちらも必要な道だとわたしは思います。
そもそも、学校という集団環境が合わない人というのは確実に存在します。
「学校へ行かなければならない」という意識のせいか、そういった人達のケアが遅れている…。というか気付いていても、「それが当たり前でしょ?」と思って放置している人も多いように感じますね。
「みんなできるのにおまえはできないの?」みたいな煽りは、ガチでやりたい事やってる人にだけして欲しいものです。
体調的・精神的など、見えない影響で出来ない人に対して、優しい世界じゃないのでしょう。
なので、わたしは「選択する自由が欲しい」と感じます。
正直、学校行かずに遊んでたって、良いと思います。
かつて、ラジコンが好きで、ドローンが出た時に真っ先に飛びついた人達は、今誰よりも秀でたドローン操縦士になって仕事をしています。
かくいうわたしも、過去にゲームを遊びまくった影響で、あらゆるジャンルが好きな人と交流ができ、多数のゲーム知識の中から提案をして、共にゲーム開発をすることができています。
いまは遊びが仕事になる時代です。
幅広い知識や見聞が得られる学校という環境は非常に大切かと思いますが、そういった独自性を認められる環境になればいいなと本当に思います。